【あらすじ】
ある日、人気作家が殺害された。しかし、担当刑事の推理によってあっさりと犯人は捕らえられる。犯人は罪を認めるが、なぜか決して動機を語ろうとしない。刑事は彼を知る者達に出会い、その謎を徐々に解き明かしてゆく。その動機は、悪意という言葉に似つかわしくないものであった、が・・・。
前述の『~記録を読むという特異なスタイル~』というのは、小説の登場人物が書いた文章を読者が読んでいる、という視点を指す。これが面白くも非常にやっかいで、通常ミステリーのミスリードは客観性を欠いた事実描写であったり、嘘の"台詞"で誘導するけれど、本書において登場人物が嘘を書けば、よぼよぼのお爺さんもマッチョなアメリカ人に読者にとって矛盾無く成りえてしまう。少し大げさにいったけど、つまり疑うべきが多すぎて先読みが出来ない、しまいに読者がまったく知らない情報が刑事の推理披露の時になって突如出てきたりするので、左脳で読むと「見せられている」感があった。
推理小説ではなく、推理ショー(Show)説とでも言ってみようか。・・・後悔は少しある。でも言いたかった。
向き合う姿勢を改めて、深く考えずに傍観者として読みきると、終盤での大どんでん返しが待っている。これは見事にしてやられた。人間が抱く印象、感情というものを「悪意」という熟語をもってよくよく表している。
読みきったとき浮かんだのは、まず「二重の小説」という言葉。意味をうまく説明できるほど国語は徳井じゃないので「阿久井」を呼んで時分で考えてもらい鯛。
人は自分で考え出したことを強く信じる傾向があるんだと。自分が金持ちだと相手に信じさせるには、「金持ちなんだ」と直接言うよりも、高額のレシートをしれっと見せるほうが効果的。
実を言うと私は未だに登場人物中、唯一姓が同じ漢字の2人の関係を疑っている。つまりそういう事。
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