歯車にはその溝の数にだけロマンが刻まれている。時間?そんなものはどうでもいい。ここに挙げたのはすべて、手巻きの「ムーブメントが見える」懐中時計。
少し熱く語りたい。
機械時計の歯車は時、分、秒、さらにはカレンダーやクロノグラフといった複雑な動きを、ヒゲぜんまいの緊張と緩和というたった一つの単純な動力から生み出し実現する。そこには一切無駄の入る余地は無く、合気道や舞踊に通ずる、物理法則がもたらす合理的な美しさがある。あなたは駅伝を見たことがあるだろうか。一つの目標に向けて42.195キロの距離を懸命にタスキをつなぐ姿は涙なくしてみることは出来ない。時計とは、ある意味で駅伝でもある。その先にトロフィーなど無くとも、テレビ中継など無くとも歯車は回り続ける。なんて健気なんだろう。時計を見る大抵の人間はそんな歯車事情など気にもかけずに結果のみを見て満足している。そんなに時間が知りたければ時計の針でも見ているといい。私は時計を見るたびうっすらと目に涙を浮かべている。
歯車をアイドル人形に置き換えて読み返すととてもきもちわるい。でもこの気持ちにうそ偽りはない。
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